冷凍食品100年 ヒストリー

日本に冷凍食品事業が誕生して1世紀、
時代ごとのさまざまな課題を解決し、
発展してきた冷凍食品の歴史は、
ニチレイのイノベーションの歴史でもありました。

「冷凍食品はニチレイ」

冷凍食品とニチレイのこれまでのあゆみをご紹介します。

1920年代

「魚を凍らせた」ことから、
日本の冷凍食品事業がはじまった。

葛原商会・葛原猪平が、アメリカから冷凍設備を輸入。
同時に技師も招き、1日10トンの冷凍ができる冷凍庫を北海道森町に建設。
(現・ニチレイフーズ 森工場、所在地)

日本冷凍食品事業発祥之地碑
日本冷凍食品事業発祥之地碑
1923

関東大震災、発生。
葛原冷蔵は東京・芝浦の冷凍倉庫に保管してあった冷凍魚を、被災者に無償で配布。

非常時に際し、冷凍食品の存在価値が認識される。

関東大震災、発生。葛原冷蔵はの冷凍倉庫に保管してあった冷凍魚を、被災者に無償で配布。
国産の電気冷蔵庫第一号
国産の電気冷蔵庫第一号

昭和に入り、
世の中が便利になるとともに
冷凍加工品の開発が始まる。

1926

昭和に改元

1929

世界恐慌

1939

第二次世界大戦 勃発

1942

日本政府が水産業界を再編し、
帝国水産統制株式会社を設立。

第二次世界大戦中、国民にたんぱく源を供給する重要な役割を担う。

1945

「日本冷蔵株式会社
(現・ニチレイ)」創立。

「戦後の食糧難で苦しむ人々に、新鮮な食材を安定的に届けたい」という強い想いから、帝国水産統制から改組し、民間企業として再スタート。

日本冷蔵・本社社屋
日本冷蔵・本社社屋

第二次世界大戦 終戦

1950年代
かつてない好景気が訪れる。
世の中は高度経済成長へ。

1950年代

いち早く給食事業に参入。

小学校を皮切りに、学校給食が開始。五人に一人が栄養失調といわれた時代、育ち盛りの子どもに栄養価の高い食事を届けるため、ニチレイは給食事業にいち早く参入。

※給⾷に登場したニチレイ商品について、こちらの記事で紹介しています
⼀度は⾷べた!? ニチレイが⽣んだ懐かしの給⾷メニューを再発掘

いち早く給食事業に参入。
1954

学校給食法制定

日本初の、温めるだけで食べられる調理冷凍食品、『茶碗むし』発売。

学校給食法制定。
1950年代中ごろ

学校給食向け『三色スチック』が大ヒット。

タラ・サケ・イカなどの魚を主原料に、スティック状に成型したフィッシュフライが大ヒット。品質・規格が一定で、短時間に大量調理が可能なのも重宝された。

日本冷凍食品事業発祥之地碑
1957

第一次南極越冬隊に冷凍食材を提供。

南極観測船「宗谷」に69種類、約20トンの冷凍食材を提供。
それまでメインの食料だった缶詰や塩漬けされた干物に代わり、冷凍素材を使ったメニューや、お寿司セット・天ぷらセット、茶わんむしなどの冷凍食品で、南極観測隊を食事の面で支えた。

南極観測船「宗谷」
南極観測船「宗谷」
ニチレイの冷凍食材は、南極の「天然の冷凍庫」に蓄えられた
ニチレイの冷凍食材は、南極の「天然の冷凍庫」に蓄えられた
1958

東京タワー完成

1959

自社で冷凍運搬車を開発。

政府のコールドチェーン構想に沿って、
世の中の低温流通システム構築に貢献。

自社で冷凍運搬車を開発。
冷凍食品事業拡大に尽力した、
日本冷蔵 二代目社長 木村鑛二郎
自社で冷凍運搬車を開発。
1950年代後半

「三種の神器」が一般家庭に登場。

電気冷蔵庫、白黒テレビ、電気洗濯機の家電「三種の神器」が一般家庭に普及。
生活は洋風スタイルに変化した。

「三種の神器」が一般家庭に普及。

冷凍食品が業務用として
普及しはじめる。

1963

ダイエー三宮店に冷凍食品売り場が作られる。

1964

東京五輪で、
冷凍食品が各国選手の食事に。

5,000名を超える各国の選手団に対し、安全でおいしい食事を大量に提供するため、選手村の料理長・村上信夫氏(後の帝国ホテル初代総料理長)が冷凍食材を採用。
ニチレイは、利用しやすく品質も保持しやすい規格、大きさを何度も検討。冷凍野菜や魚の切り身など、品質の高い冷凍食材を選手村に納品した。
各国選手たちから大好評を博し、冷凍食品がホテル業界や外食産業から注目されるきっかけとなった。

選手村の料理長・村上信夫氏
選手村の料理長・村上信夫氏
(画面中央)
選手村への納品風景
選手村への納品風景
東京五輪で、冷凍食品が各国選手の食事に。
東京五輪で、冷凍食品が各国選手の食事に。
東京五輪で、冷凍食品が各国選手の食事に。

東京五輪 開催
東海道新幹線 開通

1970

大阪万博に「テラス日冷」を出店。

来場者数・6400万人を超えた大阪万博。ニチレイは、レストラン「テラス日冷」を出店し、冷凍品を使ったハンバーグなどを提供。

大勢の人でにぎわう「テラス日冷」
大勢の人でにぎわう「テラス日冷」

日本万国博覧会(大阪万博) 開催

大阪万博を契機に、外食産業が盛んに。

冷凍で常備し、来客に応じて調理、提供するオペレーションが確立。

家庭の冷蔵庫が、冷凍・冷蔵庫の2ドアに。

冷凍庫の進化とともに、一般家庭でも冷凍食品が浸透。スーパーマーケットには冷凍食品売り場も誕生し、人気の五大品目「コロッケ」「ハンバーグ」「シュウマイ」「ギョウザ」「えびフライ」が定着。

ポテトコロッケ
ミニハンバーグ
えびフライ
你好シューマイ
餃子
1972

沖縄返還

1973

第一次石油危機

1974

家庭用冷凍食品のバラエティ増加に伴い、デザインを「グリーンベルト」ブランドに一新。

家庭用冷凍食品のバラエティ増加に伴い、デザインを「グリーンベルト」ブランドに一新。

帝国ホテルと共同出資でインペリアル・キッチン
(現・帝国ホテルキッチン)を設立。

1978

ご家庭の夕食に高級洋食メニューを。
『ホワイトパック®』シリーズ発売。

第一次石油危機から立ち直り、「一億総中流」といわれる時代。レストラン並みの高品質な洋食が家庭で味わえると人気に。

ご家庭の夕食に高級洋食メニューを。「ホワイトパック」シリーズ発売。

1980年代
家庭用・業務用ともに冷凍食品が一気に浸透・拡大。

1985

社名を日本冷蔵から
「ニチレイ」に変更。

社名変更の新聞広告
社名変更の新聞広告

社名変更の新聞広告

バブル経済
男女雇用機会均等法

1980年中ごろ

家庭用冷凍食品にもマーケティング手法。

家庭用冷凍食品市場が成長したことで、今では当たり前となったターゲットの明確化やコンセプトの細分化などが行われるように。ニチレイは業界に先駆けて、家庭用冷凍食品をセグメント分けした。

1985

『24hr.(ツェニフォーアワー)』シリーズ、
『JET MENU』シリーズ発売。

24時間いつでも食べたい『24hr.(ツェニフォーアワー)』シリーズ 24時間いつでも食べたい『24hr.(ツェニフォーアワー)』シリーズ
24時間いつでも食べたい
『24hr.(ツェニフォーアワー)』シリーズ
「機内食風」が楽しい『JET MENU』シリーズ。現在の「個食」の先駆けと言える商品。
「機内食風」が楽しい『JET MENU』シリーズ
現在の「個食」の先駆けと言える商品
1986

お弁当シリーズ発売。
以降、中高生やビジネスマン向けのお弁当商品が続々登場。

共働き世帯の増加などを背景に、お弁当商品への需要が高まった。
ニチレイのお弁当商品では、ターゲットをさらに細分化し、
中高生向け・幼稚園向けの商品を発売。

お弁当シリーズ発売。以降、中高生やビジネスマン向けのお弁当商品が続々登場。
1987

一世を風靡したニュースナック
『原宿ドッグ®』誕生。

1987年当初、業務用商品として発売された『原宿ドッグ®』。当時、流行の最先端であった「原宿」と、片手で食べられる「ホットドック」のイメージを掛け合わせてネーミング。ワンハンドの手軽さも手伝って爆発的ヒットを記録する。1989年には家庭用商品としても発売され、原宿駅前で撮影したCMを放送。

一世を風靡したニュースナック
1989

平成に改元
消費税3%開始

1980年代後半

家庭用の電子レンジ普及率が伸長。

1991

バブル経済崩壊

1994

ニチレイ『新・レンジ生活®』シリーズ誕生。

「冷凍コロッケを電子レンジで温めると衣のサクサク感が失われてしまう」という課題を独自の技術で克服した『新・レンジ生活® 衣がサクサク牛肉コロッケ』。「美味しいコロッケが食べたいけど、家で揚げるのは面倒」という主婦の悩みを解決し、大ヒット商品に。その後、『パリパリの春巻』や『メンチカツ』も登場した。

ニチレイ「新・レンジ生活®」シリーズ誕生。
ニチレイ「新・レンジ生活®」シリーズ誕生。
ニチレイ「新・レンジ生活®」シリーズ誕生。

食のカジュアル化が進む。

ファミリーレストランは、「おいしい食事を家族で食べる特別な場所」から、「よりリーズナブルかつ日常的に食事ができる場所」へと変化。

1995

阪神淡路大震災 発生

1990年代後半

スーパーマーケットにもニチレイの技術。

総菜需要が高まり、スーパーマーケットの総菜売り場では、それまで家庭での手作りが当たり前だったメニューが多数登場し、業務用冷凍食品が大活躍した。

スーパーマーケットにもニチレイの技術。
スーパーマーケットにもニチレイの技術。
スーパーマーケットにもニチレイの技術。
1997

消費税が5%になる

1998

長野冬季五輪 開催

2000年代はじめ
人々の食のニーズは「簡単・便利」へ。

2000年代

食にまつわる事件、事故が多発

  • ・ほうれん草残留農薬問題
  • ・賞味期限改ざん問題
  • ・食材偽装問題
  • ・多発する異物混入問題
2001

『本格炒め炒飯®』発売。

当時の冷凍炒飯と言えば、中華風の具材と調味料を混ぜただけの「炒めていないもの」。
ニチレイは独自の炒め技術で、家庭用冷凍炒飯初の“パラっと炒めた”『本格炒め炒飯®』を発売。たちまち大ヒットとなった。

本格炒め炒飯®発売。
2003

フードセーフティに取り組み、
業界標準となるトレースバックシステムを構築。

この時期、食にまつわる事件・事故が多発、冷凍食品メーカー各社がフードセーフティに取り組む。食の根本価値である「安全・安心」を改めて見直して業界が信頼回復に向けて動き出す。

フードセーフティに取り組み、業界標準となるトレースバックシステムを構築。

「3添加物不使用」の『お弁当にGood!®』シリーズ発売。

生活者の安全・安心の要望の高まりを受けて、着色料・保存料・化学調味料を使用しない
『お弁当にGood!®』シリーズを発売する。

2004

通販限定で『気くばり御膳
(現・『きくばりごぜん』)を発売。

普段の食事で摂取する栄養素が偏りがちな方に向けた冷凍総菜セット『気くばり御膳®』を発売。レトルトの糖尿病食開発で培った技術を活かし、カロリー・塩分にくわえ、たんぱく質・脂質・炭水化物の三大栄養素をバランス良く調整している。冷凍食品は健康価値を提供するステージへと進んだ。

『鶏つくねセット』(2006年秋発売)
『鶏つくねセット』(2006年秋発売)
『カツの卵とじ風とおかず3種』(2009年秋発売)
『カツの卵とじ風とおかず3種』(2009年秋発売)
『丸大豆醤油仕立ての鶏からあげセット』(2020年春リニューアル発売)
『丸大豆醤油仕立ての鶏からあげセット』(2020年春リニューアル発売)
2005

日本初のフードバンク認定NPO法人セカンドハーベストジャパンと提携。食品業界における大きな課題「フードロス問題」に、いち早く着手。

外箱が変形した商品など、品質に問題はないものの一般市場では販売できない冷凍食品を無償で提供。ニチレイロジグループも協力し、低温輸送で養護施設などに直接食品を届けている。

外箱がへこんでしまっているが、中身の品質に問題のない商品の一例
外箱がへこんでしまっているが、
中身の品質に問題のない商品の一例

持株会社体制に移行し、
「ニチレイフーズ」が誕生。

2008
リーマンショック

2011年3月

東日本大震災が発生。

食のインフラの大切さを見直す機会となる。

2014
消費税が8%になる

2015

『本格炒め炒飯®』発売15年目、初の大規模リニューアル。
「三段階炒め製法」誕生。

約30億円を投資し、大リニューアル。「250℃以上の高温熱風」で「炒めパワー」をアップ。ごはんがよりパラパラに。

2017

『特から®』発売。

3つの「トク」にこだわった冷凍から揚げ、『特から®』を発売。独自の「じゅわ旨っ。®」製法で「特別」なおいしさ、食べ応えのある「特大」サイズ、お「トク」なボリュームパックで大ヒット。発売1年で冷凍から揚げ売上No.1に。

『特から®』発売。
2019

令和に改元

2019

消費税が10%になる

2020

サステナブルな社会の実現へ向けた取り組み。

一部商品の包材に使用されているインクとトレーを「バイオマスインキ」と「バイオマストレー」に順次切り替え。また『本格炒め炒飯®』の製造にかかるすべての電力を、「グリーン電力証書」を活用して再生エネルギーに転換。サステナブルな社会実現への貢献を目指す。

サステナブルな社会の実現へ向けた取り組み。

新型コロナウイルスの
世界的感染拡大が発生

2022

「パーソナルユース」商品の拡充

ニチレイでは、拡大する新たな個食需要を「パーソナルユース」需要と定義。
山形工場に専用ラインを新設し、業態の垣根を越えて一食完結型の商品提供を開始した。

冷やし中華
香ばし麺の五目あんかけ焼そば
三ツ星プレート デミグラスハンバーグ&ナポリタン

冷凍食品は、より安全で、より質の高い
商品の開発へ。

常に人々の生活に向き合い、
社会課題に向き合い、
成長し続けてきた冷凍食品業界。

​環境や暮らしの転換期をむかえた今、
私たちは次の「100年」に向けた「想い」があふれている。

世界中で働く仲間たちに
暮らしの豊かさを分かち合いたい。
環境配慮や持続可能な調達を通じて
「未来に豊かな食」を残したい。

ニチレイは、培ってきた冷凍技術で、
おいしさへのこだわりで、
どんな課題も解決してみせる。

この熱い想いは、冷めることはありません。
冷凍食品は、次の100年へ