SNSなどで人気のクリエイターさんにニチレイ商品の魅力を発信してもらう、ニチレイアンバサダー企画第3弾!
今回のアンバサダーは、“煩悩クリエイター”として活躍するフリースタイルな僧侶・稲田ズイキさん。冷凍唐揚げを食べながら「冷凍食品を使うことは手抜きなのか」について考えてもらいました。唐揚げを愛する稲田さんがたどり着いた答えとは?
僧侶が冷凍唐揚げアンバサダーになった
自分は稲田ズイキという僧侶(28)なのだが、「煩悩クリエイター」という怪しい肩書きもある。何をしているかというと、『DOPE寺』というお寺ミュージカル映画を撮影したり、これでもかというくらい卑近な例をつかって仏教を語る「世界一敷居の低い仏教本」を書いたりしている。肩書に「煩悩」とついているだけあって煩悩まみれだ。
そして、紛れもない事実として、とにかく唐揚げが大好きである。居酒屋で真っ先に頼むのは当たり前のこと。店員が唐揚げを持ってくるとすぐに、誰よりも速く箸を唐揚げにスライドさせ、誰かの「レモンかけてもいい〜?」の掛け声を置き去りにしている。好きって速さに出るよね。
※『若鶏タツタ』は販売を終了しております。
そんな唐揚げ好きなので、この度、冷凍唐揚げアンバサダーになれたことを誇りに思う。で、アンバサダーになって早速、編集部から投げかけられのが「冷凍食品を使うことは手抜きか?」という問いだ。たしかに、僧侶には問答が似合うのかもしれない。
「手抜き料理」
その言葉に、僕はかねてから違和感を覚えていた。だって、冷凍食品を使うことは手抜きだと思わないし、さらに言えば、手抜きが悪いとも思わないからだ。「料理には手間や時間をかけないといけない」という前提こそが、そもそもおかしいと考えている。
だから、「冷凍食品を使うことは手抜きか?」という質問に答えるならば、この問い自体が誤りであると、僕は思うのだ。
仏教のお経には、画一的な世界観を持った人と、悟りの境地にいる人との問答がたくさん収録されている。で、これはお経あるあるなのだが、質問自体が誤りであるとき、悟りの境地の人はよく黙るのだ。相手の質問に対して答えないことで、質問自体に偏りや固定観念があったことを気づかせようとする手法。そう、一番かっこいい答えは「沈黙」と相場は決まっているのだ。
だから、僕も黙ろうと思う。
……。
……。
……。
……。
……。
……。
うめぇ! この旨さ、黙っていられるわけねぇ!
「母ちゃん、アッツアツの白飯ィィ!」と、一人暮らしのワンルームでも架空の母親にお茶碗を差し出したくなる味と言えば伝わるだろうか。まるで部活終わりのあの夕飯時にタイムスリップしたかのような満足感が、ニチレイの唐揚げたちには詰まっている。
カリッ! ジュワッ! って世界一幸せな擬音語とともに、ジューシーな鶏肉が、香ばしいしょうゆ味と香辛料に身を染めて、わがままボディで主張し始めるもんだから、とにかく美味しい!! それが『特から®』という唐揚げの覇道を歩む冷凍唐揚げ。
他にも、『若鶏たれづけ唐揚げ』は甘酢でさっぱりとイケるし、『若鶏タツタ』は生姜の香りで和風にキメられる。さらに、『お弁当にGood!® からあげチキン』は何にでも合わせられる無限の可能性を秘めている(僕はマヨでいった)。
冷凍唐揚げは便利だし美味しい。冷凍だから手抜きだなんて話は、まかり通らないレベルの美味しさの唐揚げが今ここにあると、全力で主張したい。
便利であること、其れ即ち手抜きに非ず
「手抜き」という言葉はすでに悪いイメージが付いているので、もはや時代に適していないのではないかとも思ったりする。手間をかけずに美味しいごはんを食すことは、頭がいい行為以外の何者でもないと僕は言いたい。つまり、冷凍食品はシンプルに「めちゃくちゃ頭がいいメシ」なのではないだろうか。一休さんがポクチンしてとんちをひらめいていたように、僕は冷凍食品をチンして聡くなっているように感じるのだ。
こんなことを言っていると、たまにだけど「お坊さんなのに『便利』を享受してる」と言われることもある。世間一般的には、お坊さんは「便利」を享受してはいけない職業NO.1に見えるのだろう。お坊さんじゃなくても、何かにつけて「『便利』を享受することは何か大切なものを削っている」ような感覚になることは多い。「便利」ってどのように受け止めればいいのだろうか。
そこで、仏教の世界を見渡してみる。チベットでは、くるくると回すだけでお経を読んだことになる「マニ車」というものが存在する。中国では、念仏を自動的に再生する「念仏機(通称:ブッダマシーン)」が仏具店で売られている。さらに、超厳格なことで有名なタイの僧侶でさえも、YouTubeで法話を配信し、LINEで信徒と繋がって、お布施も電子マネーで支払ってもらっているのだ。
仏教の世界では、なぜこんなに利便化が進んでいるのかというと、仏教には、形式にとらわれることなく、「苦しみをなくす」という仏の大意の実現が優先されるルールがあるからだ(それを仏教用語で「方便」という)。ハイテクガジェット仏具やハイテクインフルエンサー坊主が生まれるワケはここにある。つまり、大事なことは、大きな目標を見失わず、形式という固定観念にとらわれないこと、と言うべきだろうか。
冷凍唐揚げも、多くの人に便利で美味しい唐揚げを食べてもらいたいという大きな目標のもとに作られたのだろう。言うならば、冷凍唐揚げは唐揚げの「方便」。2,500年の仏教の歴史が今、冷凍唐揚げを肯定していると言っても過言ではないのではないだろうか。少なくとも、僕はそう思う。
とにかく大事なのは、何事においても「こうしないとダメだ」という固定観念を持たないことではないだろうか。だから、固定観念にとらわれず、おいしくて便利な冷凍唐揚げをまっすぐ手にすればいいのだと、僕は声を大にして言いたい。
ちなみにこの原稿を母に見せると、「最近の冷凍食品は美味しいからな〜」と言いながら唸っていた。冷凍唐揚げアンバサダーの息子を持つ母は、さすがである。
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