SENIOR INTERVIEW
工場の安定稼働を日々守る。女性初のエンジニアが
切り拓く未来
生産統括部 山形工場 技術グループ
北條 優美
- 入社1年目
- 新卒で入社後、本社の技術部門に所属。
白石工場のエンジニア担当となる。
- 5年目
- 技術戦略部のエンジニアリンググループに異動。
ハンバーグの生産に関する装置や異物除去装置等の開発を担当。
- 8年目
- 山形工場技術グループへ異動となる。
- 13年目
- 第1子を妊娠し、産休育休を取得後、復職。
- 16年目
- 第2子を妊娠、産休育休を取得。
復職し、エンジニア職として復帰。
ていねいな仕事が先輩エンジニアの
信頼を勝ち取るきっかけに
――北條さんが、ニチレイフーズに入社したきっかけを教えてください。
北條:学生時代は基礎工学部で、機械が好きだったこともあって、将来はエンジニアリング系の仕事に就きたいと考えていました。でも、当時はまだまだ女性エンジニアが珍しい時代。いくつか応募しましたが、他社ではなかなか採用してもらえませんでした。
私が就職活動をしていたのは、ちょうどニチレイフーズが『本格炒め炒飯®』を出した頃。その高い技術力とおいしさに驚いて「自分もこういうものをつくってみたい!」と思ったのが、ニチレイフーズに惹かれた一番の理由です。結果的に、ニチレイフーズ初の女性エンジニアになることができ、「私を採用してくださった方々の期待に応えたい!」と、入社当時の私は燃えていましたね。
――女性初のエンジニア採用として、不安や苦労もあったのではありませんか?
北條:最初の配属は白石工場の技術部。「これが男社会か……」と思うようなことは、正直何度もありました。新入社員の私はまず、工場で使用するボイラーなどの設備を運転・管理したり、生産ラインをより良く改善する仕事を任されました。一つひとつの仕事をていねいに、汚れるような仕事も自分の中では男女関係なく取り組んでいました。それから半年くらい経ったときですね、徐々に先輩方が私をエンジニアとして信頼してくれているのがわかるようになったのは。
もちろんその間に、悔しい思いをしたときもありました。でも今振り返ってみると、私が女性だったからではなく、お互いにギャップがあったのだと思います。私からすると、住み慣れた地域を離れ、全く行ったこともなかった地域に赴任し、コミュニケーションの取り方が違うことに戸惑っていた。仕事に対しては、私側から見た「こうありたい」と、周囲からみた「普通はこういうもの」との間にギャップがあるように感じ、苦しんだ時期がありました。
先輩たちからしても、初めての女性エンジニアにどう接していいか最初はわからなかったでしょうし、他県から来た人というのがまだ少なかった時代だったので、戸惑いがあったのではないかと思います。
――様々な困難も乗り越えて、ニチレイフーズの女性エンジニアのパイオニアとして奮闘されていますが、現在のお仕事内容を教えてください。
北條:山形工場の技術グループのマネジャーとして、工場の設備保全や経費の管理、固定資産管理などの仕事をしています。みなさんの家ではガスや水、電気といったインフラを当たり前に使うことができると思いますが、工場では常に点検やメンテナンスをして気を配り、管理をしていかなければ安定して使うことができないんです。工場内で電気や水などがいつでも使えて、安定的に生産をできるようにすることが、私たちの大切な仕事の1つになっています。
また、最近新しい機械が導入されたことで、今後、新商品が投入されていく予定ですので、生産が軌道に乗るように各部署と連携して、設備面の様々な課題解決に取り組んでいます。もちろん既存ラインを安定稼働させるのも私たちの大切な業務です。山形工場の技術グループの十数名のメンバーとともに、他部署や本社とも連携して仕事を進めています。
ターニングポイントとなった
結婚・出産を乗り越えて
――入社以来、20年以上一貫してエンジニアとして業務に携わっていますが、ターニングポイントを挙げるとしたら?
北條:ひとつは結婚。当時は、結婚して仕事を続けている女性エンジニアのロールモデルが不在だったこともあり、結婚後のキャリアイメージをうまく描けなくて……。勝手に「結婚したら制約が増えて、仕事ではもう活躍できなくなるんだろうな」と考え、落ち込みました。
結婚して1~2年が経った31歳のときに、山形工場に異動となりました。山形工場では常温食品と冷凍食品を生産していますが、2つの温度帯の製品群を生産しているのはニチレイフーズではレアケース。ここで初めて常温食品生産の難しさを知ると同時に、面白さに惹かれてどんどん仕事が楽しくなり、「結婚してもあんまり変わりはないやん!」と思えるようになったんです。
――ロールモデルがいない中で、自ら道を切り拓いていったんですね。
北條:その次に訪れた転機が2度の産休・育休の取得です。1人目の育休から復帰した頃、「もう完全に私のキャリアは終わったんだな」と思い込んでいました。もちろん、社内の誰かからそんな言葉をかけられたわけではないんですよ。私が勝手な先入観から葛藤し、もうキャリアを積むことは許されないだろうという気持ちになっていただけ。それでもエンジニアとしてのキャリアを完全に諦めることなどできなくて、もがき苦しんでいました。その頃は同じような境遇にいる人や、乗り越えた人の存在がいないことがつらくもありましたね。
――家庭と仕事の両立への葛藤はどのくらい続きましたか?
北條:時間制限がある勤務が続く中でも、責任ある仕事を任せていただいたりして、少しずつ自信を取り戻しては再び悩んで……の繰り返し。大きな変化があったのは、2度目の産休・育休の取得後。自分にもようやく余裕が出てきたのか、だんだんと気持ちが前向きになり、「子どもがいたら無理だと思っていたけど、本当にそうなのかな。両立する方法は探せばあるんじゃないかな」と考えられるようになりました。
――そこから再びエンジニアとしてのキャリアを前向きに考えられるようになったんですね!
北條:子どもがいると急に仕事を休んで申し訳ないという気持ちになってしまうけれど、誰だって急に事故に遭うかもしれないし、家族が病気になったりすることもあるでしょう。大事なのは誰か1人に業務が偏らないような環境を整えること。そういう働き方ができる仕組みづくりをしていかなければいけないと考えるようになったんです。
私にとってキャリアアップは、自身が成長するためだけでなく、一緒に働く仲間も共に成長すること。近くに頼れる親類がいない共働き夫婦なのに、育児と仕事を両立できるのだろうか、仕事だけでなく子どもともきちんと向き合えるのだろうかという不安はありつつも、2020年に役職登用に挑戦。2021年からは現職である技術グループのマネジャーになりました。
会社に入ることはゴールではなく
新しい成長へのスタート
――北條さんがマネジャーとして目指していることを教えてください。
北條:今、私のグループは男性社員ばかりですが、結婚して夫婦共働きで、子どもがいる人もいます。具体的には、子どもが熱を出したときにパパが気軽に休める環境をつくっていきたいですね。工場勤務のエンジニア職がテレワークを導入する難しさはありますが、どんな働き方ができれば急なお休みでも現場が混乱しないかなどを話し合いながら、環境を整備しているところです。
――ニチレイフーズでエンジニアとして活躍するために必要なものは何でしょうか?
北條:好奇心と考える耐力があり、いろいろな人や物、事象の良いところを見つけて好きになる力、そしてなによりコミュニケーション能力ですね。私も入社前は、エンジニア職にはさほどコミュニケーション力は必要ないと思っていましたが、実は様々な部署の人とコミュニケーションを取る機会が多い仕事です。
理論立てて物事を話すことができ、相手の意見を傾聴し引き出す姿勢があれば、ニチレイフーズの頼もしいエンジニアになれると思います。
――最後に就活生へのアドバイスをお願いします。
北條:私が就活をしていた頃とは随分環境も違うでしょうけど、もし、就活当時の自分に今声をかけるとしたら……、「自分が唯一無二の存在だということをもっと実感してほしい」と言うでしょう。誰とも違う、自分という存在を理解することは、就活できっと役に立つはずです。
会社は入ることがゴールではなく、入ってからがまた新しい成長のスタート。ぜひ、将来に夢を馳せながら、今の自分からどういう成長をしていきたいのか、ワクワクしながら未来への扉を開いてください。
※掲載の仕事内容、所属は取材当時のものです。
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