SENIOR INTERVIEW
粘り強く前向きに、挑戦を重ねて
培った技術力で
思い出に刻まれる商品を
商品開発部 第三ユニット 海外チキングループ
末政 芙実子
- 入社1年目
- 新卒で入社後、研究開発部に所属。
春巻商品の技術開発を担当。
- 3年目
- 同部署の海外チキンチームへ。
『特から®』のリニューアル開発を担当し、タイの新工場の立ち上げに携わる。
- 4年目
- 同部署の国際事業チームにて、ベトナムのお客様へ向けたパスタソースやパン商品の開発などを行う。
- 5年目
- 国際事業テーマと平行して、タイ工場の新ライン設立に際したチキン商品の開発を担当。
- 6年目
- GFPT Nichirei (Thailand) Co., Ltd.へ出向。
- 9年目
- 商品開発部の海外チキングループに異動し、チキン商品の開発を担当。


食に携わりたいという
気持ちを大切に
飛び込んだ研究開発への道
――末政さんは新卒で入社後、研究開発部で海外新工場の立ち上げや、商品開発などに携わり、現在は商品開発部の海外チキングループに所属しています。入社前から海外をフィールドに働きたいと考えていたのでしょうか?
末政:私は帰国子女で、幼少期はオーストラリアに住んでいたので、漠然と海外でもう一度暮らしてみたいなと考えていました。ニチレイフーズの選考の過程で、今後海外の事業規模を大きくしていきたいと聞いたことが、入社を決めるうえでも大きなポイントの1つになったと思います。
大学院ではがんやウイルスといった生物化学を専攻していたので、周りは製薬会社に就職する人が大半。でも、就活を進めるうちに、人の何気ない生活に関わり、1日3度、好みや気分など多様な要素が含まれたうえで「選択」される食について、薬とはまた違った魅力を感じて。それで食品メーカーへの就職を志望するようになりました。中でもニチレイフーズは冷凍食品業界でNo.1の会社だと聞いていたので、その技術力から学べること、得られる知識が多くあるのではないかと考えて入社を決めました。
――入社後、最初に研究開発部の春巻商品の技術開発を担当することになったそうですね。当時のことを覚えているでしょうか?
末政:春巻はニチレイフーズの中でも主力商品ですし、その技術開発に携われると聞いて、初めは華のある仕事だろうと思いました。でも、実際は春巻の皮の配合を検討するために大量の粉を計量したり、毎日たくさんの量の春巻をひたすら食べて比較したり……地道な仕事が多かったです。「本当においしいものを追求するって、こんなに過酷なことなんだ!」と新人の頃に知ることができたのは、とてもいい経験になったと思っています。
――大学の専攻と異なる、食品の開発の仕事に就いて困ることはありませんでしたか?
末政:配属当初は私が包丁を握ると先輩が3人くらい集まってきて、ケガをしないように見守ってくれる(笑)……というくらい、料理経験がなかったんです。最初は「包丁を持っただけでこんなに心配をさせてしまって社会人失格……」と思っていましたけど、先輩方のサポートが手厚いので、すぐに慣れることができました。
家で料理をするのと商品を開発するのとでは、近いようで実は遠く。学生時代にどんな経験をした人でも、基本的にはみんな同じゼロからのスタートです。学んでいた分野に関係なく、「課題に対して自分なりに考えてアプローチし、答えを出した経験」と「こんな商品を開発してみたい!」という熱意が大切なんだと今は感じています。


諦めず、粘り強く
その姿勢が育んだ、
現地スタッフとの友情
――入社3年目に研究開発部の海外チキンチームに異動。ここから海外事業に関わる仕事がはじまっていったんですね。
末政:はい。 海外チキンチームでは『特から®』のリニューアルを担当し、タイの新工場立ち上げに携わりました。はじめてのタイ出張が決まったときは、ものすごく緊張していたのを覚えています。
結構大きな案件を抱えた出張だったので先輩と一緒だったんですが、最初に「現地スタッフからの質問に一つひとつ真摯に回答することが信用につながる」と言われたんです。何を聞かれてもいいように、必死で準備をして挑みました。
――入社5年目の年明けすぐに、タイ工場の新ライン設立によるチキン商品の開発を担当することになり、タイへ。赴任が決まったときの率直な思いを聞かせてください。
末政:タイへ赴任する前年は、アメリカなど複数の国の事業に携わる開発テーマを担当していて、海外赴任をするとしたらアメリカだと勝手に思っていたので、正直な気持ちを言えばショックでした。タイ赴任直後は新型コロナウイルスのパンデミックの影響を受けて、街はロックダウン。知り合いもほとんどいない場所で、現地スタッフと顔を合わせて話すこともできないし、どのように仕事を進めていいかもわからず、孤独感が募って公私ともに本当に苦しかったです。
でもそんなとき、日本でお世話になっていた先輩・後輩や同期、以前の上司などたくさんの方々がメッセージをくださって。海を越えても気にかけてくれる仲間がいることは、はじめての海外赴任をする私にとって本当に心強く、温かい人に囲まれて仕事ができる喜びを改めて感じることができました。
――タイ赴任中に印象に残っている出来事はありますか?
末政:開発マネージャーとして日本で設計・開発した商品をスケールアップさせて工場の生産ラインに落とし込むサポートをするのが私の仕事の1つでした。国が違えば、言語も違えば文化も違う、ものの考え方やこだわりを持つポイントも異なります。安定的に同じ品質を維持することが重要である生産工場において、認識がずれていることは恐ろしいことなんです。
たとえば、正円形の商品をつくろうとして、楕円形のものができたとき、日本人から見ると「これは正円ではない」と考えますが、現地スタッフから見たら「円形でしょう?」となる。たしかに間違ってはいないのですが、正円であることがその商品のこだわりなら、それは改善しなければいけないポイントになります。
何が課題なのか、こだわりがどこにあるのか、図を描いたりタイ語を覚えたりして丁寧に伝え、一緒に規格や定義付けを考えたりして、何日もかけて粘り強く認識をすり合わせていきました。これは個人の考え方の違いなので、海外でなくとも日本人同士でもよくあることですが、感覚の違いやこだわりを持つポイントが異なる、というのはタイ赴任してより強く感じることが多かったです。
赴任中、現地スタッフには無理をお願いするばかりで申し訳なく思っていたんですが、帰国の際、2時間の距離を空港まで見送りに来てくれた人たちがいて。お互いに涙を流し感謝の気持ちを伝えあいながら、大変だったけれど本当にタイに行ってよかったし、最後まであきらめずに仕事をしてよかったなと思いました。スタッフの方たちとは、今も仕事で関わりがありますが、お互い励ましあいながらメッセージをやり取りしたり、お土産交換したりする仲なんです。


世界中の人に愛され、思い出に刻まれる
“ド定番”商品を生み出すために
――末政さんは今後、どのようなキャリアプランを描いていますか?
末政:私には入社当時から「世界中の人の“ド定番”になるような商品をつくること」「誰かの思い出になる商品をつくること」という2つの夢があります。タイから帰国後、商品開発部の海外チキングループへ異動になり、現在はコンビニエンスストア様向けチキン商品の開発を担当しているので、まずは日本全国で愛される商品を生み出したいです。
ゆくゆくはさらに規模を広げて、世界の市場を相手にした商品開発に挑戦してみたいですね。ニチレイフーズの代々の先輩方や、現役の私たちがつくり上げた技術・品質が世界中の人を魅了する食につながったら素敵だなと思い描いています。
――今後ニチレイフーズで海外事業にチャレンジしてみたいと考えている学生のみなさんに、アドバイスをお願いします。
末政:海外と関係することも、そうでないことも、どんなことでも全力で取り組んでみてほしいです。私も思い描いていたキャリアと違う道を進むことになったとき、最初はショックを受けましたけど、そこで腐らずに全力でやったことが今につながっているのを実感します。
入社当初、春巻の開発をしていたときは、毎日小麦粉を粉まみれになりながら運んでいました。あの経験が海外で役に立ったかと聞かれたらよくわからないし、単に体力がついただけだったかもしれません(笑)。だけど、そんな大変な毎日でも楽しさを見出して、先輩方に助けてもらいながら、仕事を一つひとつ覚えていった経験は、海外で働くうえでも確実に役立ったと思います。将来やりたいことや思い描いていることがあるのであれば、今できることに前向きに取り組むことで開ける世界が必ずあるはずです。
※掲載の仕事内容、所属は取材当時のものです。
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